Description
- 1/72 scale plastic model assembly kit. Approx. length: 125mm, approx. wingspan: 167mm.
- The model accurately depicts the Ki-61-Id Hien with elongated nose and slimline fuselage.
- The cockpit parts breakdown is changed from its 1/48 scale counterpart, and can be pre-assembled then slotted into the already-built fuselage sides.
- The fuselage underside radiator/oil cooler is artfully recreated with a single piece.
- One-piece canopy offers excellent fit with fuselage.
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洛陽浩月楼主人 弱水狂子 –
箱を開けて先ずびっくり! パーツ点数が少ない、 胴体・主翼含めてパーツがほぼ1つのランナーに収まってる、更にキットと同スケールの塗装図面も付属!!
最近キットを購入しても製作するのに億劫になってきた自分でも 組み立てたくなる感じですごく良いキットでした。
Manuel Cabrales Vargas –
El mejor kit del Ki 61 en esta escala.
洛陽浩月楼主人 弱水狂子 –
タミヤ・1/72 川崎・三式戦闘機「飛燕」1型丁・飛行第244戦隊特別攻撃隊第159振武隊隊長・高島俊三陸軍大尉機(昭和20年5月、東京調布陸軍飛行場)
22.09.06完成
[キットについて]
タミヤ製2018年版1/72「飛燕」決定版キット。擦り合わせを必要としない高い整合性のパーツと繊細なモールドが素晴らしいの一言。唯一、増槽や操縦士フィギュアなどのアクセサリーが附属していない程度が残念な部分か。デカールは①飛行第244戦隊小林照彦大尉搭乗機(昭和20年2月調布飛行場)、②飛行第244戦隊高島俊三少尉搭乗機(昭和20年5月調布飛行場)、③飛行第19戦隊(昭和20年フィリピンルソン島)の3種類。他に別売タミヤ純正デカール(ITEM 12683)を使用。大判でやや貼りづらいが、三色戦の特徴あるマダラ迷彩を美しく再現できた。
作例は②飛行第244戦隊で編成された特別攻撃隊第159振武隊隊長高島俊三少尉(飛行第244戦隊第1飛行隊そよかぜ隊所属)機。出撃に際し小林照彦戦隊長乗用機を譲られた4424号機を再現。
[高島俊三陸軍大尉]
高島俊三陸軍少尉は、1924(大正13)年8月27日、岡山県倉敷市浜田町(現在の倉敷市阿知2丁目)に生まれる。昭和13(1938)年、広島陸軍幼年学校入校。昭和19(1944)年陸軍士官学校卒業。少尉任官、直ちに航空科へ転科。明野飛行学校航空隊付。後、東京調布東部第108部隊付。
昭和20(1945)年5月28日0800、調布を出撃。明野・伊丹・芦屋を経由し6月
1日に鹿児島県知覧到着。6月6日1330、飛行第244戦隊戦闘機隊(五式戦闘機)の直掩を受け、陸軍特攻振武隊第159戦隊長として部下4名を率いて出撃。16時頃、沖縄県慶良間諸島沖で敵艦隊に突入戦死。二階級特進。『岡山県戦没者忠魂録』倉敷市の項に、「陸軍大尉正七位勲五等雙光旭日章功三級金鴉勲章」と勲功を記載されている。
陸軍特別攻撃隊第159振武隊及び第160振武隊は、1945(昭和20年4月26日、飛行第244戦隊戦隊長小林照彦少佐より下令された「飛244作命第638号」に基づき編成。両隊とも指揮官は小林戦隊長の明野飛行学校での教え子である陸士57期生(航空転科)の高島俊三少尉・豊嶋光顯少尉が任ぜられ、使用機は飛行第244戦隊所属の三式戦闘機各6機。
両隊は約1ヶ月の錬成訓練後、5月28日調布を出撃。159振武隊は6月1日、160振武隊は6月4日知覧到着。当初6月5日午後出撃予定だったが天候悪化の為延期。翌6月6日1330、両隊共に母隊244戦隊の直掩を受け知覧を出撃。16時頃、沖縄県慶良間諸島付近の敵艦船に突入した事が無線傍受によって確認された。
陸軍特別攻撃隊第159振武隊
①高島俊三少尉(陸士57期・ 広島陸軍幼年学校、岡山県倉敷市出身 )
②賴田克己少尉(特操1期・拓殖大学、大阪市出身)
③松原新少尉(特操2期・国士舘専門学校、神奈川県三浦市出身)
④伊川要三軍曹(予下士9期・熊本航空機乗員養成所、兵庫県安積町出身)
⑤西野岩根伍長(少飛甲種15期、徳島県那賀川町出身)
⑥磯部十四男伍長(少飛甲種15期、静岡県浜松市出身)注:磯部伍長のみ6月11日戦死。
陸軍特別攻撃隊第160振武隊
①豊嶋光顯少尉(陸士57期・姫路中学、鳥取県赤碕町出身)
②佐々木鐵雄少尉(特操1期 ・中央大学、長崎県勝本町出身)
③新井利郎少尉(特操2期・山梨高等工業学校、群馬県出身)
④松谷巌伍長(少飛甲種14期・東京都出身)注:5月25日、空襲により王子で戦死。
⑤荒木秀夫伍長(少飛甲種15期、茨城県岩瀬町出身)注:6月4日、知覧到着時、万世飛行場沖に不時着戦死。
⑥中川忠男伍長(少飛甲種15期・東京都出身)注:6月11日出撃後宝島に不時着)
高島俊三少尉は、豊嶋光顕少尉・渋田一信少尉と共に、1945(昭和20年)3月30日、特攻要員として飛行第244戦隊に着任。第1飛行隊(そよかぜ隊)配属。調布では広島陸軍幼年学校時代からの親友横手興太郎少尉、生田伸少尉、先輩の藤沢浩三中尉と再会、共に勤務に精励した。6月6日の出撃では、餞として藤沢中尉が直掩隊指揮官を務める。
高島少尉は実家が裕福で、仕送りを受けては十二社(じゅうにそう・現在の西新宿4丁目にあった景勝地、歓楽街)の料亭で豪遊していたと言われる。現在遺されている写真には、高島少尉の隣の若い芸妓の胸に、彼等から贈られたと思しき飛行時計を飾った肖像がある。高島少尉には懇意にしていた若い芸妓がおり、同期の天野完郎少尉は、自分の戦死後彼女の面倒を見て欲しいと頼まれたが、天野少尉自身は大映女優と交際中だった為に断り、特操の某少尉を紹介したという。
高島少尉の両親は、少尉が芦屋飛行場(福岡市)に進出した際出した手紙を受け、急ぎ倉敷から駆け付けたが、既に知覧に進出した後で、最期の面会は叶わなかった。 6月6日の出撃直前、高島少尉は見送りに来た傷痍軍人馬場行雄に、自身の軍刀と図嚢を実家へ送るよう依頼した。図嚢には写真と共に、「前途のある若桜を死の道づれにするのは誠に忍びず、父上より呉々も懇ろににお詫びして下さるようお願い申し上げます。この写真を焼き増しして右の住所に送って下さい。俊三」と部下遺族を思い遣り書かれた便箋が入っていた。
井上和彦著『撃墜王は生きている!』に、飛行第244戦隊第1飛行隊長(そよかぜ隊)生野文介大尉への取材の中で、高島少尉に関する記述がある。「昭和20年5月17日、知覧より特攻出撃した高島少尉達を直掩した際、出撃前に高島少尉は『隊長!これは誰それからもらったマフラーです。そしてこれは誰それからもらいました』と言って、体中にみんなからもらった白いマフラーを巻きつけて私に見せてくれたんです。それは武運長久を祈るマフラーでした。あのときは本当に涙が出たね。高島少尉は私に『あとは頼みます!』『ただいまから行ってきます!』と言って笑顔で出撃していきました。神様、本当に生き神様だったね」。戦後倉敷の生家に弔問した際、高島少尉の母親は、大尉を前に涙も見せず毅然とこう言ったという。「隊長さんにしっかり育てていただいたおかげで、息子は役に立つことができました。生野さんのおかげで立派に戦死できました。これが天皇陛下からいただいた勲章です。どうぞ見てやってください」と。
Amazon カスタマー –
何よりも大切な作りやすさ。という点において本来のタミヤのキットらしさに出会えたような気がします。
出来上がった時のプロポーションのとりかた捉え方もなかなかのものできっと多くの方が満足されるので
はないかと思います。
Amazon カスタマー –
パーツの分割が凄く良いです
コックピット周りも精密で、1/72でここまで精密にする必要あるのか?とも思いましたが、形になり始める頃1/72でここまで出来るのでかと感心しました
最近のタミヤのキットらしくプラが柔らかくて整形しやすいので楽です